2019年1月21日月曜日

くじら

今、僕は人生の分岐点に立っている。
基本的に怠惰な僕にとって“節目”は重要な好機だ。
そういうわけで、しばらくぶりに、そして新しくブログを作ってみた。
なるべく縛りを入れたくなかったので、こんなタイトルとした。
Twitter にも Facebook にも書くには少し躊躇われる(それは長さであったり、質であったり、属性であったり。決してネガティブな意味合いではない)文章を残していこうと思う。


とりあえず、少し前に書いた曲のライナーノーツを試験的に載せてみる。

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あなたは鯨を食したことがあるだろうか。
世代によっては、それは懐かしい思い出の味かもしれない。 先日、とある小料理屋の隅で色とりどりの鯨料理と相まみえる機会があった。 平成生まれのボクにとって、それは新鮮であると同時に、 幾ばくかの寂寥感を抱かせる代物だった。 件の小料理屋は、宮崎県都城市という内陸部の街にあった。 海のない街で皿に盛られた鯨の気持ちたるや、察するに余りあるが、 恐れ多くもそんな鯨の胸中を歌にしたいと思った。 かつては大海原を優雅に泳ぎ、ややもすると海中に飽き足らず、 空をも飛びたかったかもしれない。 友はいたのだろうか。恋に苦しんだこともあっただろうか。 家族と何を語り合ったのだろうか。 刺身になる前の鯨の気持ちなど、全ては忖度するしかないのだが、 彼にボク自身を重ねると途端に心情がリアルに迫ってくる。 ある哲学者の言葉を借りると、 人間は誰もが「感じの海」とやらを揺蕩っているものらしい。 人生を旅に例える人は多いが、なるほど、本当は旅路なんてものは無く、 ただ浮かび流されているだけなのかもしれない。 ボクも鯨なのだ。 決してこの街が嫌いなわけではない。 しかし、ふとした瞬間に、乾ききったコンクリートに腹を擦りながら、 無理やり毎日を生きている気がすることがある。 焦りなのか、諦めなのか、それとも現状に満足しながらも何かに納得していないのか。 きっと誰しも大なり小なり似たような心の汚れを持っているに違いない。 みんな鯨なのだ。 ただ、ひとつだけ確かに言えることがある。 ボクらはまだ、生きている。俎上で身動きがとれないわけではない。 もう一度、あの頃の夢を思い出してみよう。きっと空だって飛べるはずだ。

2 件のコメント:

  1. いっそ心を閉ざして生きていった方が楽だと思う日もある
    つまづいて立ち上がったと思ったらまたつまづいて深手を負ってしまうこともある
    自分にとって幸せは幻想にすぎないと思う日もある

    それでも幸せをつかむため 自分の成長のため走りつづけたい

    ブログ開設おめでとう

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  2. ありがとうございます。

    幸せって分からないですよね…。
    もうこれ以上の不幸はない、と思っていても、そこからさらに落ちることもありますし。。

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